造船部門には、何十もの部署があり、その中に課、班に分かれていた。また協力会社も出入りしており、総勢1000人規模で一隻の船を作る。私の配属先は、もちろん全員男だが、今思うと、職人気質の先輩が大半を占めていたと思う。油を使うため、どの班の作業員よりも作業服が汚れていた。構成としては社員は10人程度、協力会社の社員が20人ぐらいか。このメンバーから、船のエンジン、プロペラ、舵取り機等の部門に分かれ、当時は300m級のコンテナ船を年に数隻製造していた。作業内容は、溶接、ガス切断、玉掛けやフォークリフト、高所作業車での作業など多岐にわたる。毎3年ごとに新入社員が配属されているようで、私の直の先輩は3個上だった。最初の印象としては、社員はみんな眉間にしわを寄せて話しにくい雰囲気、協力会社の人たちは、基本沖縄の宮古島出身でガタイがデカく顔も濃い、話方も違うしでとにかく恐ろしいとこに配属されたと思った。私も常識知らずの若造だったので、へまするたびに「シバくぞ」と言われていた。今振り返っても、よく耐えていたなと自分を褒めたくなる。
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